買い物依存症に伴う寂しさとさまざまな感情について


依存症とは「嗜癖(アディクション)」のこと

依存症とは嗜癖(しへき)のこと。精神科の世界ではこちらの方が病名としては一般的で、依存症という病気をもっと限定的に扱っている言葉です(病気には至っていない状態、広い意味での依存や浪費とは違います)。

 

 

では嗜癖(しへき)とは何かというと「自分の意志に反して、止めることのできない悪い習慣に陥る、あるいは耽ってしまうこと」ことだそうです。

 

 

代表的な嗜癖をあげると、病的賭博、摂食障害、薬物・アルコールへの依存症などがあります。これらに買い物依存症も含まれるわけですが、買い物依存症は嗜癖と未病が混在しており、その区別が難しく、嗜癖の多様化や病状の複雑化が言われています。

 

 

ここでは、買い物依存症に伴うと見られるさまざまな感情を題材にして、嗜癖(依存症)と精神疾患ではない状態との区別を試みてみました。

 

 

買い物依存症の人がなぜ寂しさを感じてしまうのか

 

買い物依存症の心理状態として、寂しい、辛い、不安だ、満たされないなどをあげる人がいます。たしかに寂しさや満たされないという情緒は、嗜癖問題の原因とも言われるアダルトチルドレンが抱きやすい感情です。

 

 

しかし買い物依存症の人は、無駄な買い物を繰り返すなかで、寂しい、辛い、不安だ、満たされないなど感情を抱くのではなく、機能不全家族の中でほぼ定常的に抱く感情のようです。つまり、寂しいから、心が不安だと言う感情から、無駄な買い物を繰り返すわけではないということです。

 

 

彼らが、買い物をしている間にそのような感情に振り回されていないということは、依存症という精神疾患が否認の病だと言われていることとつながります。

 

 

否認の病とは、自分の心が病んでいるという意識の欠如、依存者自身が自分が何かに依存している現状を認めようとしないなどです。だから、依存者は、自身が買い物依存症であることにも、なかなか気づこうとはしない面があります。寂しさなど一連の感情は、彼らの根っこのところに根差すものです。

 

 

逆に、自分から、寂しい、辛い、不安だ、満たされないという思いを表明して無駄な買い物を続ける人は病気としての依存症ではない、浪費家の可能性があります。

 

 

見栄や我慢をすぐ口にするのは嗜癖ではない可能性がある

 

また、買い物依存症の人には、見栄、虚しい、(買い物に依存する習慣に)我慢できないなどの情緒が見られると言われます。

 

 

見栄というのは、買い物をすることで周りの人に威張れる見栄という感情です。虚しいとは、見栄の反対で起こる感情ですが、虚しいという感情は見栄と同じ次元で生じるものです。我慢とは買い物に依存する習慣への我慢というものです。

 

 

こうした感情も、買い物依存症の方が自分で意識することは少ないでしょう。我慢ということは、多少は意識するでしょうが、見栄や虚しさを感じていたとしても、表面化することは難しいものです。

 

 

逆にこうした一連の依存症に伴い発せられる情緒を、いつも意識しているということは、その人が嗜癖ではない可能性があります。もしそうであったなら、嗜癖より買い物過多の症状は改善しやすいことが期待できます。

 

 

病的嗜癖かどうかの判断は精神科医に任せるしかない

 

依存症という精神疾患は、なかなか自分では気づかない心の病です。自分で気づかないばかりか、依存症の親も何らかの依存症であることが多く(これを共依存と言う)、家庭全員が依存症の場合は、一層その問題を複雑にしてしまいます。

 

 

ただし、買い物依存症はほかの依存症に比べて、すべての依存者が病的嗜癖に陥っている可能性が低いといえます。冒頭でも言いましたが、買い物好きの人は自分のストレス発散にも買い物という手段を使います。浪費癖のある方が、すべて病的嗜癖にあたらないのは当然のことです

 

 

浪費癖も治すことは決してらくではありませんが、病的嗜癖よりは改善しやすいでしょう。嗜癖かどうかの判断は専門医に任せるしかありません。ただ、嗜癖問題に強い精神科医が最近は増えていますから、気になる方は医師をたずねて相談してみると良いでしょう。

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